アウト・オブ・ザ・マネー
19世紀後半から20世紀初頭の第一次世界大戦に至るまでは、いわゆる国際通貨問題はほとんど起こらなかった。この期間は国際金本位制が確立していた時代であり、イギリスを中心に世界経済が調和的に運営されていたことにも支えられて、中心国通貨ポンドは安定し、その信頼は絶大であった。ところが第一次世界大戦によってイギリス中心の体制は崩れ、1930年代には国際金本位制も姿を消した。それ以後の国際通貨の歴史は、わずかの小康期間を除けば危機の連続であった。以下、第二次世界大戦後に限って概観してみよう。 1970年代の通貨問題 オイル・マネー問題、 為替相場の乱高下・オーバーシュート 1980年代以降の通貨問題 プラザ合意、 激しい円高・ドル安、 アジア通貨危機、 ユーロの誕生、 人民元の切上げ 1. 金・ドル本位制の成立――1950年代まで 国際通貨基金(IMF)が発足した当時は、世界的な不均衡(ドル不足)が存在していたため、FXとも外為制限の撤廃は困難な状況であったが、ひとりアメリカだけは可能だったので、ドルは唯一の国際通貨となった。第二次世界大戦後の国際通貨体制は形式的にはIMFが中心となったが、実質的にはドルが基軸となって運営された。ドルが基軸通貨になった背景は、なによりもアメリカの強大な経済力に負っていたが、直接的にはそれまでに蓄積された巨額の金準備によっていた。アメリカ政府保有の金準備高は、1949年には最高の246億ドルに達した。アメリカ政府は1934年以来、外国公的機関保有のドルに対しては、金1オンス=35ドルの価格で要求がありしだい、いつでも金と交換することを保証していたが、諸外国政府もアメリカの巨額の金準備に安心し、金のかわりにドルを対外決済準備として保有した。こうして第二次世界大戦後の国際通貨制度は金とドルが両輪となった金・ドル本位制であった。またドルは部分的にではあるが金との交換性をもっていたから金為替であり、その他諸国はドルと自国通貨をリンクしていたので金為替本位制を採用していたわけである。したがって第二次世界大戦後の国際通貨体制は金為替本位体制でもあった。 2. 通貨不安の続発――1960年代 金・ドル本位制は、1950年代はアメリカ経済の絶対優位を背景に安泰であった。ところが60年代そうそうにドルに不安が生まれ、アメリカはその後、総力をあげてドル防衛に努めることとなった。しかし、60年代後半になると、ポンド、マルク、フラン、円などにも不安が波及し、ドルとの間でシーソーのように危機を展開した。そして68年3月には空前の「ゴールド・ラッシュ」が起こり、71年8月にはついに金とドルの交換性停止に追い込まれ、これを境にして変動相場制時代へ移行することとなった。次に主要通貨についてその実態を概観してみよう。 ドル不安 1960年秋に、ドルに対する信認が動揺して金への乗り換えがラッシュとなり、その結果、金の市場価格が1オンス=40ドルを超えて暴騰した。その原因は、アメリカの国際収支が悪化して金とドルの流出が増え、その結果、金準備高と金兌換(だかん)圧力となる短期ドル債務残高の関係が逆転したためである。アメリカ政府は事態の重大さにかんがみ、急遽(きゅうきょ)ドル防衛に乗り出した。初めは輸出促進や貿易外収支の改善を中心にしたが、それでも不安は収まらなかったので、63年には金利平衡税を新設して資本輸出の抑制を図った。しかし功を奏せず、その後ベトナム戦費の増大などが加わり、事態は好転しないまま推移し、ついに68年3月のゴールド・ラッシュ、71年8月の金・ドル交換性停止へと悪化の一途をたどった。ところで、ドルは、第二次世界大戦後は金やポンドにかわって国際流動性となって供給されてきたから、ドル防衛によってその供給が停止されると、世界経済は流動性不足となりデフレに陥るのではないかという議論(流動性ディレンマ論)があったが、現実にはドル防衛は成功せず、ドルの垂れ流しが続き、むしろ世界インフレを招く原因にすらなった。しかし、この議論が契機となってIMFに特別引出権(SDR)が創設された。 その他の外国為替 不安